150516/うちのお母さんに聞いて知ったこと
今週のお題「これ、うちのおかんだけ?」
150516/うちのお母さんに聞いて知ったこと
ちょっと内容からずれるかも知れませんが、面白かったので書いてみます。
改めましてこんばんは
大冒険家のdokuhuntです。
戦争が終わった年に小学生だったうちのお母さん。例の放送が始まった時には畑仕事を手伝っていて、大人がみんな泣いていたことを覚えているそうです。
昨今の愛国とか反日とかの対立で、戦争当時のことを色々と聞いてみたら以外なことを言っていましたのでそれを思い出しながら書いてみます。
①戦後の食糧難はそんなに続かなかった
戦争終了の直後は確かに食料は少なかったそうですが、次の年にはものすごい豊作があったそうで腹いっぱいに食べられたそうです。あと、田んぼに稲を植えるだけでなく、あぜ道にも大豆を植えたりして可能な限り収穫を増やす努力もしたそうで。ただ、肥料とか農薬とかどうしたのか?と尋ねたところ、昔はそんなのはほとんど使わなかったとのこと。じゃあ、とってもオーガニックなのに現代は農薬まみれってどうよ!?と返したところ、昔の作物は農薬がいらなかったけど、すんごい不味かったそうです。半端ないぐらいにね。今のお米はとっても美味しいのだそうです。確かに昔のほうがコメが旨かった的なことは聞いたことないなと。
②戦中はそんなに独裁的だったのか?
よく、天皇陛下に申し訳ないのか!と怒鳴る帝国軍人がドラマとかで出てきますがあんなの本当にやっていたのか?というところで、それはあんまり見なかったけど、朝鮮人の方が憲兵にボコボコに殴られているのは見たそうです。あれは差別的なことだったのかな~とのこと。
あんなのは一年も無かったそうです。戦争が無ければ急速に復興してみんな普通の家に住むようになったそうで、イメージ的には10年ぐらい続いたように見えますが、焼け野原がきれいになくなったのは2年ぐらいだそうです。東日本大震災からの復興を見ていると、確かにそんな長くは無いなと思いました。
④シベリア抑留に関して
これは介護施設に勤めていた母が、そこのご老人に聞いた話。昔話に花を咲かせていたら、ご老人が語りだしたそうで。ロシア方面で戦っていたが、急に降伏することになり武装解除してそのままシベリアに連れて行かれたそうな。そこで過酷な労働をさせられていたんですが、戦争が終わったことを知らなかったそうです。そのご老人はその隊の中では一番若く、何故か突然一人日本に帰れることになった時にその隊の方全員が一番若いやつを返してやってくれと、ソ連軍人に頼み込んで送り出してくれたそうな。抑留は本当に仕事のノルマがきつく辛かったそうです。ちなみにノルマはロシア語で、シベリア抑留に端を発する言葉なんですな。
⑤戦争ってどう思います?
北朝鮮に対して戦争しろとか若い人は言うけど、戦争のみじめさをもう誰も知らないだろう。本当にみじめだから絶対に二度と辞めて欲しい。
と、いった感じでした。
うちの母親は68歳で亡くなりましたが、生きているうちにこんな話を聞けて良かったと思います。親の若かったころのお話は生きているうちにしか聞けませんから、どうか皆さんも機会があったら聞いてみるようにしてくださいね。